ローマ法王庁が高山右近を「聖人」となる前段階の「福者」に認定へ

江戸時代に幕府の禁教令で国外追放となり、1615年に死亡したキリシタン大名、高山右近について、ローマ法王庁(バチカン)は22日までに、カトリックで最高の崇敬の対象とされる「聖人」となる前段階の「福者」に認定する手続きを進めることを了承した。ニュースをまとめ。

○ローマ法王庁が「福者」に認定する手続きを進めることを了承

江戸時代に幕府の禁教令で国外追放となり、1615年に死亡したキリシタン大名、高山右近について、ローマ法王庁(バチカン)は22日までに、カトリックで最高の崇敬の対象とされる「聖人」となる前段階の「福者」に認定する手続きを進めることを了承した。
出典 高山右近を「福者」認定へ – ローマ法王庁 | マイナビニュース

バチカン関係筋が明らかにした。
出典 高山右近を「福者」に認定へ ローマ法王庁  :日本経済新聞

枢機卿らによる会議で認定を決定し、法王フランシスコの承認を経た上で、年内か来年初めにも正式に発表される見通し。
出典 高山右近、聖人の前段階「福者」認定へ ローマ法王庁、来年にも日本で儀式 – 産経ニュース

福者認定の儀式「列福式」は来年日本で行われる予定という。
出典 高山右近、聖人の前段階「福者」認定へ ローマ法王庁、来年にも日本で儀式 – 産経ニュース

○信仰に命をささげた殉教者として認定するようバチカンに申請


高山右近の像

今年は右近の没後400年の記念の年で、日本カトリック司教協議会は、大名の地位を捨てて信仰に命をささげた殉教者として右近を福者に認定するようバチカンに申請していた。
出典 キリシタン大名・高山右近を「福者」認定へ ローマ法王庁 – 産経WEST

今年は右近の没後400年で、日本カトリック司教協議会は、右近を福者に認定するよう申請していた。
出典 高山右近、聖人の前段階「福者」認定へ ローマ法王庁、来年にも日本で儀式 – 産経ニュース

枢機卿らによる会議で認定を決め、法王フランシスコの承認を経た上で、年内か来年初めにも正式に発表される見通し。
出典 高山右近を「福者」に認定へ ローマ法王庁  :日本経済新聞

○「聖人」や「福者」ってなに?

第266代ローマ教皇フランシスコ
教皇就任2013年3月13日
先代ベネディクト16世

聖人に対する崇敬を行う教派では、教会によって公式に認定(列聖)されなければ聖人と認められない。
出典 聖人 – Wikipedia

一般に、聖人として認めるための調査は本人の死後に長い時間をかけて行われ、早くても死後数十年、場合によっては死後数百年にも及ぶ厳しい審査を経てようやく認められる。
出典 聖人 – Wikipedia

しかもカトリック教会の場合、列聖の前段階として、福者と認められなければならない(列福されることが必要)。
出典 聖人 – Wikipedia

福者の選考には二段階の審査を経る。まず第一段階では、管区大司教により生前の功績や残された著書が調査される。通例、これらの手続きには早くても本人の死後数十年を要する。
出典 聖人 – Wikipedia

○「福者」申請代理人の神父が訪問


高山右近生誕の地を訪れ、右近の石像の前で笑顔を見せるアントン・ビットベル神父

山右近をカトリックの崇敬対象である「福者」に認定するための申請手続きに関わったアントン・ビットベル神父らが25日、右近が生まれた摂津国高山があった大阪府豊能町を訪れた。
出典 高山右近生誕の大阪訪問/「福者」申請代理人の神父 | 全国ニュース | 四国新聞社

生誕碑や、没後400年を記念し今年5月に完成した「高山右近夫婦石像」などを視察。通訳を通じて「右近が幼少のころにどのような経験をしたかを感じることができ、大変良かった」と話した。
出典 高山右近生誕の大阪訪問/「福者」申請代理人の神父 | 全国ニュース | 四国新聞社

ビットベル神父は法王庁立グレゴリアナ大の教授。大名の地位を捨て信仰に命をささげた右近を殉教者として福者に認定するよう、ローマ法王庁に申請した日本カトリック司教協議会の代理人を務めた。
出典 高山右近生誕の大阪訪問/「福者」申請代理人の神父 | 全国ニュース | 四国新聞社

○高山右近の歴史


マニラ時代(最晩年)の高山右近

高山 右近(たかやま うこん)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。代表的なキリシタン大名として知られる。
出典 高山右近 – Wikipedia

右近は天文21年(1552年)に友照の嫡男として生まれた。後世キリシタンとして有名となる右近であるが、早くも永禄7年(1564年)に12歳でキリスト教の洗礼を受けている。
出典 高山右近 – Wikipedia

右近はジュストの洗礼名を得た(父の洗礼名はダリヨ、母の洗礼名はマリア)。
出典 高山右近 – Wikipedia

右近は人徳の人として知られ、多くの大名が彼の影響を受けてキリシタンとなった。たとえば牧村利貞・蒲生氏郷・黒田孝高などがそうである。細川忠興・前田利家は洗礼を受けなかったが、右近に影響を受けてキリシタンに対して好意的であった。
出典 高山右近 – Wikipedia

○大名から国外追放へ


マニラのディラオ広場にある高山右近の銅像

秀吉からも信任のあつかった右近は、天正13年(1585年)に播磨国明石郡に新たに領地を6万石与えられ、船上城を居城とした。
出典 高山右近 – Wikipedia

しかし、まもなくバテレン追放令が秀吉によって施行される。キリシタン大名には苦しい状況となるが、右近は信仰を守ることと引き換えに領地と財産をすべて捨てることを選び、世間を驚かせた。
出典 高山右近 – Wikipedia

慶長19年(1614年)、加賀で暮らしていた右近は、徳川家康によるキリシタン国外追放令を受けて、人々の引きとめる中、加賀を退去した。長崎から家族と共に追放された内藤如安らと共にマニラに送られる船に乗り、マニラに12月に到着した。
出典 高山右近 – Wikipedia

イエズス会報告や宣教師の報告で有名となっていた右近はマニラでスペインの総督フアン・デ・シルバらから大歓迎を受けた。しかし、船旅の疲れや慣れない気候のため老齢の右近はすぐに病を得て、翌年の1月8日(1615年2月4日)に息を引き取った。享年64。
出典 高山右近 – Wikipedia

○ネットの声

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